ご挨拶

富樫社会保険労務士事務所  クレア・コンサルティング・オフィス株式会社

代表:富樫 敦子(とがし あつこ)
 特定社会保険労務士 医療労務管理支援アドバイザー 産業カウンセラー
 公益財団法人 21世紀職業財団ハラスメント防止コンサルタント
一般財団法人 女性労働協会認定講師

≪プロフィール》

大学卒業後、大手建築資材メーカーに勤務。結婚退職後、転勤先で様々な雇用形態を経験しながら社会保険労務士試験に合格。現在は、仙台を拠点に社会保険労務士事務所を開業。顧問先の労務管理の他、講師業、更に「女性のチカラ」や「健康経営」「くるみん」などの取得コンサルティングを行っている。

企業も社会も、その根幹は「ひと」であり、社労士業は「ひと」に向き合う仕事であるを信念に、ホスピタリティあふれる業務を実践。

≪ひとこと≫

私は仙台生まれの仙台っ子。高校の先輩には元宝塚の杜けあきさん、大学の後輩には鈴木京香さんがいます。そして羽生結弦さんのふるさとです!

社労士を目指すきっかけは

大学卒業後、大手建築資材メーカーに勤務

就職して間もなく男女雇用機会均等法が施行、男女の賃金格差が是正されたお陰で給与がグンとアップしたのに、当時キャリア志向がゼロであった若気の至り。

たった3年間のOL生活で、あっさりと結婚退職してしまいました。しかし、当時、銀行員であった元夫の転勤に伴い、各地でート・契約社員・派遣労働者など様々な雇用形態を経験したのは、後に社労士となってからの業務に役に立っています。人間、どんな経験も糧になるものです。

山形市在住時代 労働保険事務組合に有期契約職員として勤務

事務組合向けの会議や研修が頻繁に開催される職場で、

「折角こんなに勉強の機会があるのにこれを活かさない手はない!」と思って社労士の資格取得を決意したのが、全ての始まりでした。

結果は、平成9年社会保険労務士試験に2回目のチャレンジで合格

社会保険労務士試験合格! 

早速、「社労士として仕事を始めたい」と思ったのも束の間 

結婚7年目にして、半ば諦めていた妊娠が判明したのです。平成9年は、私にとってまさに「人生の当たり年」だったようです。

嬉しさのあまり、その後は社労士の登録をすることなく、秋田、仙台等々の各地で子育てに専念した歳月を過ごしたのです。

しかし、たて続く年金や労働法の法改正に、内心焦りを感じていました。何のためにあの時あんなに頑張ったの?

母親として、我が子に何を伝えたいの...?

等々、考える日々。私は、社会の一員として働き、何らかの形で社会の役に立っている親の姿勢を子どもに伝えたかったのです。けれど、数年間も放置してしまった社労士資格は、錆びついてしまいました。

今一度、学び直しの必要性を感じました。

そして、弁護士も交通事故、労働問題、離婚など専門性があるように、きっと社労士の業務も、自分の得意分野を持っている方が強いに違いないという結論に達し…。

労働基準監督署の労災課の非常勤職員の採用試験を受験

勤務して糧を得ながら、得意分野も身に付けてスキルもアップしよう、と一石二鳥を狙う魂胆です。 

幸い労基署では労災請求の一次審査をする業務就くことができ、そのうちに相談対応、窓口業務に内部異動。謝金もアップしました。この機会に、社労士登録を行い、これが私の開業社労士としての「1ページ」です。 

社労士としての滑り出し

(1)深刻なご相談の多かった窓口業務

労災保険窓口の業務では、日々、被災された労働者やその家族、会社の労務担当者、そして社会保険労務士と接していました。労災事故はそうそう発生するものではなく、当然のことながら、皆さん手続きに慣れてはいません。

「この場合は死傷病報告も必要なの?」

「この欄の記載はこれで大丈夫?」

「そもそもこれって業務災害?通勤災害?」

というような相談が多くあります。

事案も、交通事故や長時間労働等によって発症した精神障害・アスベストによる肺がん等の疾病・過労死遺族からの遺族請求の相談など、実に幅が広いのです。

(2)窓口での出会い

1.憧れのベテラン女性社労士に声を掛けられる

そんな日々の業務を通して、沢山の社労士と面識を持つことができたのは、大きな財産になりました。

ある日、そこで知り合ったうちの1人の先輩社労士から、その方が主催する会への参加の誘いを受けたのです。

それは、東日本大震災という未曾有の災害に見舞われた宮城県のために、社労士としてボランティアで社会貢献しようという趣旨の会でした。年金や労災についての相談会が定期的に開催され、そこで沢山の相談対応をさせてもらえたことは自分の糧になりました。

定期的に、年金や労務管理等をテーマとした無料セミナーを開催し、毎回講師を務めたことは、現在のセミナー講師としての仕事の礎になっています

2.老舗社労士事務所代表先生とのご縁

行政窓口以外での社労士としての活動は、会社から単発的に依頼された事務手続き等、まだまだささやかなものでしたが、次第に「もっと幅広くたくさんの業務をしたい」という思いがふつふつと沸いてきました。

そんな気持ちを抱えていたところ、

何と「うちの事務所を手伝わない?」と、

県内の某老舗社労士事務所代表からの誘いを受けたのです。

まるで「茶でも飲まへん?」という軽いノリの誘いでしたが、「沢山の経験が積めますよ。うち、顧問先多いから。」と先生。

確かに、第三者行為災害、建設現場災害、事業主や一人親方の特別加入者の労災請求など、数多くの請求書を頻繁に提出する大手の社労士事務所です。

そんな事務所で、様々な業種の顧問先への訪問にも同行して勉強させてもらえるというなら、

もう迷う隙はありません。

翌年度から、社労士修業として事務所のお手伝いをすることに。

お世話になった2年間で顧問先の担当を多く持ち、ありとあらゆる業務の経験を一通り積ませてもらったのでした。

社労士としての「引き出し」を増やそう!

1.専門性は身に付けられたけれど...

社労士として歩き出そうと決心し、「まずは何か専門性を身に付けたい」と労基署での経験を積みました。 

お蔭さまで、労災についてのご相談や研修講師等のご依頼を受けることも度々あります。「私は労災の専門家です」と胸を張って言える程度の専門性は持てた、と思います。更に、労基署にいた頃はどうしても労働者側、行政側の視点に偏りがちでしたが、社労士事務所で数多くの顧問先と接して、会社側の視点も身に付けることができました。

しかし、これで社労士として、十分なのか?

社労士は、専門領域外の様々な相談を受けることの多い士業です。幅広い知識は勿論ですが、業際の問題もあるため、他士業や様々な業種との連携が欠かせません。専門性を身に付けた今、今度は沢山の「引き出し」とネットワークを身に付けようと決めました。

2.引き出し

①派遣元責任者講習の「講師」として

派遣元責任者講習というのは、派遣元において、派遣元責任者として選任されるために受講しなければならない法定講習です。その講師業を一緒にやらないかと、依頼をいただきました。

今でも「人前で話すこと」はとても緊張します。しかも、仕事となれば自分の一言一句に責任を持たなければなりません。

法改正時などは、2〜4時間の授業のために費やす準備時間が数十時間、ということもあります。

②産業保健総合支援センターでの業務

略して、「さんぽセンター」と言いますが、皆さんご存知でしょうか? 

労基署に勤務していた頃にお世話になった方の声掛けで、促進員を委嘱されて、現在に至っています。

メンタル不調で休職する社員は年々増加傾向にあり、平成27年にはストレスチェック制度が施行されました。

企業に出向いてのセルフケア、ラインケア研修の講師や、ストレスチェック導入の支援等を行います。

センターではこの他、「治療と職業生活の両立支援」に対する支援も積極的に行っています。

これは、働き方改革の最重要課題の1つとして掲げられているもので、重大な病気を抱えても従業員が仕事を続けられる会社の仕組みを整えることが急務とされています。

県内各地でのセミナーが開催されており、私自身も講師として支援活動と毎週1回の相談業務を行っているところです。

③過労死遺族の会のサポートメンバーとして

過労死・過労自死ゼロを目指す、過労死遺族が立ち上げた会のサポートメンバーとして、設立時から関わってきました。

私自身も、かつて身内が過重労働でメンタルヘルス不調になった経験があり、過労死、過労自死は他人事ではなかったのです。

長時間労働やパワハラによって命を失った労働者の遺族請求の相談にのる一方で、過労死防止の啓発セミナーや、企業への働きかけ等を行っています。

その活動の一環で、毎年11月に全国各地で行われる労働局主催「過労死防止シンポジウム」ではパネリストとして登壇し、TVや新聞を通しても、過労死を防止することの重要性を訴えました。

今までを振り返って

〜「ぶれない」ことの重要性〜

思い返せば、コネなし、経験なし、しかもブランクありの決して順調なスタートではありませんでした。

同時期に開業された社労士は、大きく事務所を拡大していらっしゃる方も多いです。

しかし100人いれば100のスタイルがあるのが士業なのだと思います。その人のポリシーで己の価値観を大事に進んでいけば、価値のある職業人生となるのではないでしょうか。

最後に、「ぶれない社労士」でいようと思った1つの実例をお伝えします。

開業登録後、ある事業主から労働保険の加入についての相談を受けました。

個人事業ではありましたが、従業員を数人雇っています。

しかし、労働保険(労災保険及び雇用保険)の手続きをしておらず、万一労災事故が起きたなら未加入労災となってしまう状況です。

事業主のAさんは、年間の保険料の試算額を見た時に、加入することを躊躇しました。

今までも入らなくて何とかなっていたんだから今回の加入は見合わせると言いだし、しまいに、雇用している従業員たちは請負契約にしようかと言いだす始末。

しかし、未加入労災で、事業主が大きなペナルティを負う事例をいくつも目にしている私です。

未加入労災の怖さ、雇用と請負の基準について、雇用保険に加入しない場合の想定されるトラブルなど、丁寧に(しつこく!)やりとりを繰り返しました。

労働者は勿論、事業主を守るためにもという、強い思いからです。

こうして数週間後、最後はAさんが根負けした感じで、加入手続きをするという結論に至ったのでした。

それから数ヶ月後、あの東日本大震災がおきたのです。

被災地にあった事業所は壊滅的な被害を受けて、事業は休止せざるを得ず、従業員は休業を余儀なくされた状況になったのです。

しかし、Aさんが(いやいやながら...)労働保険の加入手続きを済ませていたおかげで、従業員は全員、雇用保険の被保険者資格を取得していました。

そして――本来は、離職しなければ受給できない失業給付ですが――震災時は特例措置が設けられ、従業員は直ぐに失業給付を受けることができたのです。

「あの時富樫先生が、しつこく諦めずに加入手続きを薦めてくれたお陰で、従業員を路頭に迷わせず、雇い主としての責任を果たせた。ありがとう」

後日、Aさんにこう礼を言われ、本当に嬉しく思ったのでした。

この経験から、目先の損得にとらわれず、「会社にとっての本当の利益とリスクは何か」という視点を忘れない、"ぶれない社労士"でいたいと思っています。